幼児、保護につき

 オフィスの窓からは綺麗な夕日が差し込んで、フロア一体は温かなオレンジ色に包まれている。昼に発生した事件は無事に解決し、追われていた後処理ももう残りわずかだ。少し休憩を挟もうかな。大きく伸びをしながらフロアを眺めていると、遠くの方から黒いシルエットが見えてくる。

「すっかりお父さんですね!」

 赤井さんは愛らしい女の子を片手に抱きながら、すっと目を細めた。先ほどの一件で保護した四歳の女の子は、現場で赤井さんが抱き上げた時からずっと彼のシャツを掴んで離さなかったのだ。

「よしてくれ、やっと眠ったんだ」

 小声で、少しだけ表情を柔らかにして言う赤井さんは意外にもお父さん感が滲み出ている。逆に私が面を食らった。そんな表情も出来るんですねと喉まで出かかっていたけれど、ぐっと飲み込み女の子へと視線を移す。

 聞くとどうやら、女の子はソファーに降ろそうとすると嫌がって起きてしまうらしい。確かに今、赤井さんの肩に頭をくっつけて眠っている彼女は安心し切ったような表情をしている。

「それで状況は?」
「実は、当分動きそうもないとのことで……」

 児童保護の職員達は運悪く橋の上の事故渋滞にはまり、到着までまだ時間が掛かるとのことだった。つまり赤井さんにはもう少し女の子の面倒を見てもらわなければならない。

「参ったな……」

 珍しく赤井さんが心の声を漏らしていて、私は苦笑いした。素の赤井さんが垣間見れて少し嬉しい。参ったと言っている割には、丁寧に女の子に触れているのが分かる。

「あ、」

 でも、急に女の子がぐずり出してしまった。赤井さんは軽く項垂れながら、その小さな背中を見よう見まねといった様子で優しくトントンと触れてあげている。勘弁してくれと言いたげな表情を浮かべながら息を吐いている姿は、なんと貴重なことだろう。私を含め同僚みんなで、ニヤニヤしながらその様子を見守っていた。

「ふふっ……早くパパに会わせてあげたいですね」
「ああ、そうだな」

 女の子のお父さんは足に銃弾を掠め、現在病院にて治療中だ。弾が貫通していたこと、そして動脈も奇跡的に避けていたようで、大事には至らないそう。本当に良かったと、赤井さんも含め皆で胸をなでおろしていたのは、もう一時間以上も前のことだった。

「それにしても珍しいですよね、こんなにも小さな子が赤井さんに……」
「懐くなんて、か?」
「はい、だって今まで……」

 本当に珍しい光景だった。今まで赤井さんは現場で子供を保護することはあっても、その後は自分の出る幕じゃないと分かっているのか、はたまたお子様が苦手なのか、自ら近づこうとする場面を見たことがなかった。それが、どうして。

「煙草だよ」
「え?」
「父親が吸っていたんだろうな、俺と同じ銘柄を」
「……煙草なんて、家にありませんでしたよ?」
「ああ、だが裏庭に灰皿があった」
「あ、なるほど、」
「幼子がいるとはいえ、それが必要だったのだろうな」

 シングルファザーである父親の思いを汲み取った言葉が、オフィスにじんわりと広がっていく。本当に父親が無事で良かった。犯人が捕まったこと以上に、そのことが何よりも嬉しい。

「あ……」

 女の子をよく見ると、その小さな口元から涎を垂らしていた。赤井さんのジャケットが濡れているのを見て慌ててハンカチを取り出すと、赤井さんも声を漏らしている。しかしどうしたらいいのか分からないのか、瞬きを数回して固まるだけ。何でもそつなくこなしてしまう赤井さんも、戸惑うことがあるらしい。いや、それもそっか。

「失礼しまーす……」

 眠っている女の子に対して、そして赤井さんに対して一言伝え、私はぽんぽんぽんとそこを拭いていく。

「助かるよ」
「いえいえ……それで、どうするんですか赤井さんはこれから」
「まあ、片手で出来ることを進めるほかないな」
「それって、本当にお父さんみたいですね」
「もう、よしてくれ」

 赤井さんは私を追い払うように左手を振ると自席へと向かう。右腕には女の子を抱え、資料を棚の上に広げると立ったまま作業をし始めた。きっと、もうすでにいろんな体勢を試した結果なのだろう。赤井さんは時折身体を揺らしながら、いつも通りの表情で資料を捲っていく。

「わ……っ」

 その背中は本当に、我が子を抱く父のようだった。しばらく、その後ろ姿から目を逸らすことができない。

 こんなに柔らかい一面、知らなかった。そういえば、昔は子供のことをガキと、呼んでいたような。知らない間に、何か心変わりしたのだろうか。同僚の何人かが赤井さんの肩を叩いて、頑張れよと通り過ぎていくのにも赤井さんは軽く左手を挙げて返事をしていく。その姿は、本当に。

「……っ」

 ハッとして、周りを見渡すけれど誰も私の事など見ていなかった。当然、赤井さんも私の視線には気づいていない。ならば。

 私はもう一度、引き出しを開けるフリをしながら、視線を彼に向けた。その広く、優しい背中に心が惹かれていく。どうしたってこの気持ちは抑えられない。それを伝えるつもりもないけれど、ただ今は、静かにその姿を目の奥に焼き付けていたいと思った。